うたいうたう

今のところ志水詩為とかutaiとかうたいとかいう名前で書いています。

9/9日記 くたばれ家父長制

9/9 金曜日

 

美しいものが好きだ。

服が好きだし(これは日常的に着る洋服もそうだけれど、どちらかというとドレスやスーツ、着物ほか沢山の「衣装」を指す)、宝石もアクセサリーも好きだし、美術作品も好きだ。

だから、美術館や博物館に行くことが好きだ。

好きが高じて、学芸員資格を取ろうとしたりしている。

そこでどうしても考えてしまう。植民地支配の遺構である面を。

ミュージアムに関わりたい、と考えている人間は皆認識しておくべきだと思っている。今のところ大学でこの系統の授業は受けられていないので、はやく受けたいんだけど。美しいものに囲まれた空間を楽しむのと同時に、支配の歴史を、略奪の歴史を、差別の歴史を、格差の歴史を考えないときはない。

そういうことに自覚的な、ミュージアム好きでありたい。いつか、ヨーロッパやアメリカのミュージアムに行くことができたら、わたしは何を思うのだろうか。楽しみにしながら、わたしは学び続ける。

 

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いのちの価値に差をつける社会のしくみは絶対に変わっていくべきだし、家父長制ときつく結びついた世襲制は無くなっていくべきだと思っている(わたしが大好きな美術作品たちはこの仕組みにより守られてきたものも多いはずだから、悔しいのだけれど)。

これは、わたしが世襲の仕事をしている一家の下に生まれたことも大きい。

生まれたときから人生が決まっているなんて、そんな息苦しいことがあるだろうか。わたしは自由を愛しているし、自分の人生は自分で選びたい。

家父長制も世襲制も内面化していた小学生の頃の認識のまま、成長していたら、こんなに苦しくはなかった? いや、苦しむことができている今の方がよほど幸せだ。わたしにとって無知こそが最も恐ろしく、避けたいことだ。

離れたらいいじゃない。

離れたら、責任を、きょうだいに、それもたった一人男性である弟に押し付けて、逃げることになるのでは、という認識が消えない。

まだまだ向き合うべきことがある。

 

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家に帰ったら、たまたま「ドキュランドへようこそ・スタートライン カミングアウトするアスリートたち」をやっていたので見た。

家族がいる場で思いっきり見た。

わたしの家族(両親)はかなりリベラルな方だと思っているのだけれど、時々びっくりするくらい前時代的な考えを表出するから、そのギャップがちょっと苦しかったりする。

ちなみに、うちの母はカミングアウトに結構否定的だ。

どうして公開する必要があるのかわからないらしい(多分、性的指向性的嗜好を勘違いしているんだと思う。びびって説明できた試しがない)。セクシュアルマイノリティの権利運動にも懐疑的で(やるべきなのは分かるんだけど……と言ってはいた)、とにかく、なぜ自分がゲイだって言う必要があるのかわからないみたい。自分は毎日堂々とシスヘテロであることを公開し続けているのに??

(ちなみに母は恋愛や結婚に興味をもったのがかなり遅かったらしく、当時としては結婚年齢が割と高い。それはそれで居心地のよいものではなかったみたいだけれど。恋愛感情はホルモンの関係が大きくいずれ湧くものだと思っている。それはつまりAroAceの存在を認めていないということで、ひとりのAスペクトラムの人間として、カミングアウトのつもりで「恋せぬふたり」を家族の前で泣きながら観ていたのに、ああ何も伝わってないのだろうか、というショックが強い。ドキュメンタリー中に「ユース世代に力を与えたいから公表した」と言う選手が何人か出てきたけど、その意味、伝わっていたかな……。)

 

ドキュメンタリーを見ていたら、母は唐突に「なんで自分が同性愛者やってわかるんやろう」と言った。

じゃあなんであんたは自分が異性愛者であるってわかったの。

Twitterのクソ発言を見ているときは、反射的にそう言えるのに、いざ目の前で言われると、さあっと血の気が引いて、しばらく言い返せなかった。

「じゃあ、なんであなたは、自分が、異性愛者ってわかったんか、っていう」みたいなことを半笑いで言うしかできなかった。

あなたの目の前にいますよ、”非”異性愛者は。

いずれカミングアウトできるかなあと思ってたのになあ。何か決定的なことが起きない限り(同性の人と生きていくことを決めた…など)、伝える気が失せた。

自分”やおい”は楽しむくせに。消費だけして。

わたしが、わたしの大好きな作家たちがBLに何を託してきたか、知る由もないんでしょうね。

 

とても倫理観のある人で本当に有難いと思うし、だからこそ絶望的な気持ちになったりするんだよ(根っからの差別主義者って訳ではないから助かった。きっとわたしがカムアウトすればアライになってくれるだろうけれど、自分の身の回りにいるんだという認識があまりにも欠けてると思う)。

ブログ用意していてよかった。こういうときになんとか言葉にできることをまとめられる。そして自分の言葉を読んでくれる人がいる(アクセス解析できる仕組みがすごく面白い。負担になるかなと思ったけれど、今のところ楽しめています)。それがどれだけ支えになっているか。わたしたち支え合ってサバイブしてこうね。家父長制もホモフォビアレイシズムもくたばれ!!