うたいうたう

今のところ志水詩為とかutaiとかうたいとかいう名前で書いています。

9/4日記 異なる存在のわたしたちは、同じ花火を見つめる

9/4 日曜日

報道がちょっときつい。いや結構きつい。

わたしたちは黙らない。日陰の存在ではない。黙らせているのはおまえら。静かになんてしない。うるさいくらいがちょうどいい。

 

と勢いづいたはいいけれど。

 

花火大会に行った。大好きな高校時代の友だちと行って、3年ぶりに会う人もいて。会えてよかった。会えてよかったんだけど。自分が”非”異性愛者であることをまざまざと突きつけられて、帰って泣いた。もうどうしようもない。わたしの友だちはなんにも悪くない。彼女たちがどんな恋愛をしようと、わたしの大切な大切な友だちであることには変わりないし。もちろんわたしだってなんにも悪くないし。

彼氏との関係に悩んだこともない(そもそも人とお付き合いをしたことがないから)、というか、男性と付き合った先のことを全然想像できない。これまで女性に対してもそうだったけれど、そうではないかも知れない、という段階。



気になっている人を花火大会に誘いたいってどういう感情なんだろう。

大きく夜空に輝く美しい花火を見て、彼氏に伝えたくなる、ってどういう感情なんだろう。

大好きな彼氏と花火大会に行くってどんな感じ?

失恋ってどんな気持ち? 付き合いたいってどういうこと?

どうしてわたしは、浮いた話のひとつもできずに、いつも盛り下げてしまうの。



わからなさと悔しさと、でもこれこそが自分なのだという認識がわたしに涙を流させる。こういうことで泣きたくないのに。

よくよく思い出してみると、わたしに異性愛規範を植え付け強化させたのは、彼女たちでもあるんだよな。あの頃にはどうも自分はみんなと違うみたいだって気づいていたのに。わたしは言葉を知らず、社会を知らず、自分自身を表現できる術を持っていなかった。

そして彼女たちがあんなに恋愛に苦しむのも、異性愛規範のせいである部分が大きいんじゃないだろうか。呪いともいうべき規範を取り除けたらどれだけいいか。でも呪いを解くのはわたしの役目じゃないんだよな。解いてはいきたいんだけど。

行く前は、さらっとカムアウトできたらいいな、とか気楽に考えてたんだけどな。もう少し道のりは長そう。想像以上に自分自身の準備が出来ていなかった。

 

花火だけは本当に美しくて、あんなに大きく光り輝くものは初めて見たんじゃないかと思った。浴衣も着せてもらってよかったな。浴衣に合わせたネイルも髪も本当によかった。母も妹たちもわたしのためにありがとう。わたしキマってた。nichinichiさんのイヤリングもほんとうに映えて、ささやかな抵抗ができて嬉しかった。

小さな子どもがカラフルな花火を見て、「虹色~」と声をあげた。「虹色だねえ、きれいだねえ」と親が応えた。そのたった一瞬のやり取りで、本当に心があたたかくなるんだよ。虹は闇夜でも、闇夜だからこそ美しく輝いていたんだよ。

 

その美しい花火も、今年その地区で出生登録された子どもの数だけ打ち上げられたのだと終わってから聞いて、ぐさりとやられてしまったのだけれど。

どこにわたしの居場所があるのか、わからない。クィアの集まる場所とか、そういう意味でなく、ただ生きていて、わたしの存在が当然のものであり、そこに何の引っ掛かりもない場所。はやく手に入れたい。それとも、永遠に手に入らないものなの。

 

みんなとする恋バナ大好きだったのにな。

いや、ほんとうは高校生の頃からずっと居心地の悪さを感じていたのかもしれない。

高校の友人では、ひとりだけクィア(多分)の人がいて。少し前に会ったけれど、その人も相変わらずで安心した。本当は、クィアですって自称していないから(クィアとかLGBTQIA+という単語を使わずにセクシュアリティを表現していたので。発言他さまざまな明言からクィアの一員であることはほぼ確実なんだろうけれど)とても今失礼なことをしているのだろうけれど、それでも、オープンでいてくれてわたしは嬉しい。

恋バナ振られるの得意じゃないんだろうなって、わたし分かっていたのにな。あの日の晩、もっとわたしにできることあったかも知れないのに。小さな後悔と苦しさを抱えながらこれからもやっていくんだろうか。わたしはあの日の明け方、きっと連帯できていたと信じている。

 

いつか、できるだけ早いうちに、ほんとうの意味でみんなと恋バナが楽しめたらいいな。できるだけ早く。でも今はまだ、もう少し時間が必要みたいだ。